母は人生における大先輩。日々の言葉やその背中から学んだことを振り返っていただきます。文筆家・桜井かおりさんが憧れの母から引き継いだ、人生を前向きに楽しもうとする気持ちについて教えていただきました。
勉強はいいから、だれからも愛される人に。母から学んだ大切なこと
「母は私の憧れの女性です。人生を楽しもうとする前向きな気持ちを、母から引き継いでいますね」
娘の桜井かおりさんがそう話すほど、母・藤子さんは素敵に歳を重ねています。
かおりさんの父が銀行員という仕事柄、転勤も多く、専業主婦として家庭を守ってきた藤子さん。本当は仕事に就きたい気持ちもあったそうですが、趣味に打ち込むことで、向上心や好奇心を満たしてきました。
「手先も器用でセンスもよくて聡明な母は、何でもできちゃう人。絵を描けば毎年コンクールに入選するし、40代の後半に始めたフラダンスは、先生として教えるようになったほどです。料理も裁縫も得意でした」と、かおりさん。
子ども時代に着ていた洋服は、すべて藤子さんの手づくりでした。当時の写真には、手編みの赤いニットを着て満面の笑みを浮かべる、かおりさんの姿が。
それを見ながら、懐かしそうに藤子さんは振り返ります。
「結婚したばかりの若いころは、お金もないでしょう。それでもおしゃれがしたいから、娘の服だけでなく、自分の服も手づくりしていました。市販の服の裏側を見れば、大体つくれちゃうのよ。主人が着なくなったスーツから生地のきれいなところを使ってタイトスカートを縫ったり、古くなった服からボタンだけ外してブローチにしたり。私は、遊び心のある物や、ほかの人が選ばないような物を持ちたいんです」
そんな母に育てられたかおりさんも、おしゃれが大好きに。とくに40代、50代と歳を重ねるにつれ、藤子さんのおしゃれの持論がわかるようになったといいます。
「母はよく、『欲しい物がなくなったら人生はつまらないわよ』といいます。だから私も、いくつになっても落ち着かなくていいんだなあと、思えるように。おしゃれとの出合いを、ずっとワクワク楽しみたい。がんばって働いて、自分にご褒美をするのが喜びです」
家にいるときも、藤子さんは口紅とマニキュアを塗って身だしなみを整えています。かおりさんはその影響を受け、カフェを営んでいたころ、休みの日に朝からマニキュアを塗ることが、オンオフの切り替えになっていたそうです。
母の願いを受け取って、自分で選んだ道を進む
父の転勤で、転校の多い子ども時代を過ごしたかおりさん。授業の進み方が違うため勉強に苦労しましたが、藤子さんからは「勉強はいいから、だれからも愛される人になりなさい」といわれて育ちました。
大学には進まず、親にだまって就職の道を選択。そのことを担任の先生から聞いた藤子さんは「本人が選んだ道ならば、それでいいです」と答えたといいます。
転職、結婚、出産を経て、かおりさんはふたりの子どもがまだ保育園児だった2001年に、「カフェ ロッタ」をオープンしました。カフェラテに描いたスマイルのラテアートが人気となり、行列ができる繁盛店になったのです。
「私は母のように絵が描けない」と話すかおりさんですが、お店の中ではワンポイントのイラストを描いて、見る人を笑顔にしていました。「ふつうじゃつまらない」という工夫の気持ちや、人を喜ばせたいというサービス精神は、藤子さんの言葉を受け取って育んだ「かおりさんらしさ」なのです。
家族の思い出

藤子さんの手づくり服を着ていたかおりさん。藤子さんがミス臼杵(うすき)に選ばれたころや、フラダンスをしていたころの写真も。
桜井かおりさんが母から学んだ3つのこと
母から学んだこと01
欲しい物がないと人生はつまらない!

世の中がミニマリストブームだったときにも、買い物しつづける宣言をしていた藤子さん。かおりさんは「それでいいんだ!」と思えたそうです。
おしゃれを楽しみたい気持ちが原動力。「若い頃は黒ばかり着ていたけれど、最近は母を見習い明るい色を着るようになりました」
母から学んだこと02
自分の好きなことでハッピーになる

絵を描いたり刺しゅうをしたり、ものづくりのセンスに恵まれた藤子さん。接客をしたり人前で話したり、人と関わる仕事で生きてきたかおりさん。
得意ジャンルは違えど、自分の好きなことを、自分流に貫いていくところは一緒。目指すのは「ハッピー」だという前向きさも。
母から学んだこと03
年齢を重ねた手には、大きな指輪を


「母が大きな石のジュエリーを身に着けることに、20代のころは全然興味がなかったんです。でも、歳を重ねて手のシワが刻まれていくと、小さくて可憐なものより大ぶりの指輪が似合うってわかりました」とかおりさん。
ビビッドなマニキュアを塗るのも母からの教えです。